ガイドブックにはこのホテル「バイキングが人気」と紹介されていたのだが、味は言うほどでもなかった。
さて、今日の目的地はグラナダのハイライト、アルハンブラ宮殿である。
意味はアラビア語で「赤い城」に由来するが、行ってみるとちっとも赤くはない。何故赤くないのかは諸説あるそうだ。
同じく赤くないモスクワの「赤の広場」と同様、単に「美しい」というニュアンスなのかも知れない。
<コラム>アルハンブラ宮殿について スペインが誇る「世界一美しい建物」アルハンブラ宮殿についてちょっと説明を。 13世紀頃から、ここにはナスル朝グラナダ王国と呼ばれるイスラムの王国があった。 スペインの歴史はイスラムとカトリックの長い領土争いに彩られていたわけだが、最終的にカトリックがスペインを完全支配に至る過程はレコンキスタと呼ばれる。 (ちなみにレコンキスタは俺が高校の頃は「国土回復運動」と訳されていたが、今はイスラムの視点を考慮して「再征服運動」と訳すらしい) レコンキスタは15世紀、フェルディナンド2世・イサベルのカトリック両王(昨日の日記参照)が、アルハンブラ宮殿を無血開城させたことで終了する。これに よってカトリック対イスラムの長い戦い、レコンキスタは総仕上げを迎えた。つまり、グラナダの街はカトリックによるスペイン支配の象徴なのである。 そしてアルハンブラが無血開城だったことから、今日に至るまでグラナダにはイスラム文化が滅びずに根付くことになった。昨日のアラブ人街・アルバイシン地区を始め、このあたりにはトルコ料理屋も多いのである。 |
早速アルハンブラ宮殿へ向かうことにしよう。
ガイドブックにはヌエバ広場のバスに乗れば行けるようなことが書いてあったのだが、止まっているのは昨日アルバイシン地区に行ったのと同じ32番バス。
ガイドブックにはこれでアルハンブラに行けるとあるのだが…
運転手(女性だった)に「アルハンブラ?」と宮殿の方を指さして聞いてみたら、「NO」とのこと。
えーと…行かないのかよ。。
こうなると、宮殿まで何に乗ればたどり着けるのか分からない。
方向は分かってるんだが、アルハンブラ宮殿って丘の上なんだよなぁ。。
まだ朝早いのでそんなに暑くはないんだが…
仕方ない、歩いて登るか。
かくしてヌエバ広場の向かいからアルハンブラに続く坂道を延々と登り始めた。
坂道は緑は多いが、道はきちんと舗装されている。
まだ朝なので人気も少なく、日陰が心地よい。
が…
ものすごく急だ。
最近山なんか登ってなかったからなぁ。。
この坂は4年ぐらい前に行った万里の長城以来だ。
アレはきつかった。。
ヘロヘロになりながらしばらく登っていると道が分かれたので、城壁らしきものがある方に進む。すると、開放された入り口があった。
「ALHAMBRA」
これだ!
何故か受付係一人おらず、必要なはずの入場料も取られない。
合ってるのかな。。
ただ城壁の中の建物を見ると、確かにアルハンブラ宮殿のようだ。
廃墟みたいなのも混じってるようだけど。。
しかし何故か入れそうな建物が少ない。とりあえず一つ立派な建物があったので中へ。
外側は四角いのだが、中は円形になっていた。ステージ…なのか?
ガイドブックを見ると、こんなカタチをしているのに、宮殿らしい。
といってもこれはカルロス五世宮殿。カトリック支配の後にできた比較的新しい建物だ。
ちなみに丁度「新世界七不思議」の投票をやっている時期で、こんな看板も立っていた。スペイン代表はアルハンブラ宮殿のようだ。結局落とされたようだが。。
さて、アルハンブラ宮殿というぐらいなのでもちろん王宮がある。
中に入るのには時間限定のチケットがあると聞いたのだが、はて…チケットなんて売ってなかったと思うが。
近づいてみたが、当然のように入り口は閉ざされていた。
朝早いので人影はまばらだが、確かにチケットらしきモノを持った人はる。
チケットを求めて宮殿と逆側に歩いていくと、ヘネラリフェ(庭園)への通用口があり、警備員が立っていた。
チケット売り場の場所を聞いてみる。
すると…「さっきの入り口を出てぐるっと回れ」と言われた。
そういうことか。。
結局俺は坂道の途中で門をくぐったが、正規の入り口はさらに坂を登る必要があったようだ。
というわけで、一度アルハンブラを出た俺は再度山登りに興じるのだった。。