第5章 アンコール・ワット(5日目)

第4章 ウィークエンドマーケットへ  TOPへ  第6章 アンコール遺跡群へ


今日は午前中はアンコール・トム観光。午後はメインのアンコール・ワット観光をし、その後サンセット鑑賞。

1.アンコール・パス

カンボジア観光1日目だ。
朝食はホテルのバイキングだったが、今までより明らかにグレードが高い。
これがカンボジアだからなのかホテルのグレードが上がったからなのかは不明だが、かなりいい感じだ。

フレンチトーストや2種類のフランスパン、クロワッサンなど、フランスっぽいモノが多いのはかつての植民地時代の名残だろうか。
ここで嬉しいのは、目の前でチーズやピーマンなどのトッピングを指定して焼いてもらえるオムレツ。かなりの美味。なによりできたてが嬉しい。
ちなみにSHOHEはそこで「フライドエッグ!」と言い放ち、慣れないオムレツ係が一生懸命目玉焼きを作っていたが失敗していた。

また、やはりその場で作ってくれる暖かいスープそば(ビーフン?)も用意されていて、こちらも肉類・シーフードなど具が自由に指定できる。
パクチーが入っていたのがいただけないが、かなりの贅沢仕様だ。
フルーツも二種類のパパイヤを始め、バナナやパイナップル、スイカなどよりどりみどりだ。
もちろん洋風だけでなく、チャーハンやカンボジア風野菜炒めなどアジアンフードも充実している。

そんなわけで久々にいい朝飯を食った後、集合場所へ。

・・・見事に晴れ渡っている。今回全般に言えるのだが、観光しようとすると晴れる。雨が降るのは移動日が多い。
言うまでもないが無論日頃の行いがいいからに違いない。

午前はアンコール・トムの観光をする。ガイドは昨日もあった腰の低いスンリーさんだ。

シェムリアップはアンコール遺跡の玄関口の街なのだが、この周辺には有名なアンコールワットだけでなくかなり多数の遺跡があり、アンコール遺跡群と呼ばれている。
これらの遺跡はAPSARA AUTHORITYという団体が管理しているらしく、立ち入り禁止の立て札などにはこの団体のロゴが入っている。
そのため、観光者は遺跡のあるエリアの手前にある「チェックポイント」と呼ばれる事務所のような場所で通行証「アンコール・パス」を作成し、以降チェックポイントを通る度に提示することになる。
また、どの遺跡に入るにも、たいてい入り口にはチェックマンがいてアンコール・パスを見せる必要があるのだ。また、遺跡周辺に点在するトイレ(そこそこ綺麗だが何しろ暗い)の入り口でも必要になってくる。

アンコール・パスには有効期間によって何種類かあるようで、我々は3日券を作ることになった。ツアー料金に含まれてはいるが、3日券にはUS40ドルと書いてある。思いの外高い。
ちなみに1日券以外は写真が必要で、普通は日本から持ってくることになる。写真ごと透明のプラスチックでコーティングされたパスは結構立派だ。

パスを作成した我々は、いよいよアンコール最大の遺跡であるアンコール・トムへ向かう。

途中、かの有名なアンコール・ワットの前を横切る形になるのだが、実は午前中がアンコール・トム、午後はアンコール・ワットというのはお決まりのコース。
何故かというと、ほぼ全てのアンコール遺跡は東向きに作られているのだが、アンコール・ワットだけは西向きに作られているのだ。
つまり、午前中にアンコール・ワットの正面から写真を撮ると東を向くことになるので逆光になり、午後はそれ以外の遺跡が逆光になってしまうのである。

2.アンコール・トム


というわけで、バスが数分走ってアンコール・トムへ到着。

そもそもアンコール・トムとは何なのか。我々も行ってみるまで実感できなかったのだが、実は濠と城壁で囲まれたかつてのアンコール王朝の都なのだ。

寺院であるワットと違ってトムは街なので、規模が非常に大きい。
今はかなりの領域をジャングルで埋め尽くされているアンコール・トムは3km四方の正方形をしており、東西南北にあわせて5つの門を構えている。

東側にだけ門が二つあり、それぞれ勝利の門・使者の門と呼ばれる。そしてその中心には、バイヨンと呼ばれる寺院が建っている。

↑真ん中にバイヨン寺院がある。東側の道は、北側が勝利の門、南側が死者の門




ヒンドゥー教には、不老不死の薬アムリタを作るために海をかき混ぜたという「乳海攪拌」という神話がある。
海をかき混ぜるために巨大なマンダラ山を突っ込み、それを巨大な亀で支えて、巨大なヴァスキ龍を巻き、その龍を綱にして左右から神々とアスラ(インドの悪魔)が引っ張ったというもので、かき混ぜている間に水の妖精アプサラスやヴィシュヌ神の妻ラクシュミ女神などが生まれたのだという。

アンコール遺跡にはその神話をモチーフにした彫刻や壁画がたくさんあり、アンコール・トムの入り口にかかる橋もこの神話をモデルにした石像になっている。欄干は龍、そして龍を引っ張る神々とアスラがそれぞれ橋の両端に並んでいる。

我々は南大門から入った。というか、普通に来ると南大門から来ることになると思う。
ところで、この辺には妙な虫が飛んでいる。黄色い羽を持った…トンボに似ているが、どちらかというと蝶に近い動きでひらひらと飛び回る謎の虫。
後でガイドに聞いてみたがやっぱりトンボだという。トンボかなぁ。。





南大門を抜けた我々はちょっと様子を見た後バスに乗り、アンコール・トム中央のバイヨン寺院へ。
アンコール・トムのハイライトである。



バイヨンはアンコール・ワットよりは比較的新しい仏教寺院で、濠と3つの回廊に囲まれた中央塔の形を取る。
神々が住むと言われるスメール山(須弥山)をイメージした建造物だと言われる。

第一回廊は壁画で埋め尽くされ、東西南北四つの面それぞれ異なるテーマが描かれる。アンコール王朝の人々の生活や、チャンパーとの戦争の壁画。天井も壊れていてあまり面白くない第二層を登ると、神々の彫刻と四面仏で埋め尽くされたエリアに入る。


アンコールの遺跡と言えば第一にアンコール・ワットだが、アンコールと言って一番イメージするのはこのバイヨンの四面仏になるだろう。

四面仏は最上階のあちこちに建っていて、それぞれ顔が違う。これらは観音菩薩らしい。
それにしても、数百年ぶりにジャングルから現れた四つの顔を持つ神秘的な巨像はショッキングだったに違いない。

本尊の釈迦像を丁寧にお参りした後、15分ほど自由時間になったので、ガイドブックに載っていた「井戸」を見ることにした。
ガイドのスンリーさんにその旨を言うと、案内してくれた。
かなり入り組んだ通路を入り込み、完全に真っ暗な部屋の中にその古井戸があった。なるほど。これは我々でだけでは絶対にたどり着けない。

井戸の天井をライトで照らすと、一匹のコウモリがぶら下がっていた。ちょっと可愛い。




ところでアンコールの遺跡だが、日本政府が結構修復に対する援助をしているらしく、よく「この部分は日本政府が直してくれました」みたいな話を聞いた。
たまには我々の血税も有意義に使われているようだ。

バイヨンを出て、次に向かったのはバプーオン。
池にかかる200メートルに及ぶ細い橋の向こうにある修復中の寺院は、シャムとの戦争中に王子をかくまったという伝説から隠し子の寺院と呼ばれている。



続いてまた、てくてく歩いて象のテラス。
象の彫刻が彫られた壁を持つ、長い長いテラスだ。

さらに王宮の門を経て、ライ王のテラスへ。

かつての王がナーガ(蛇神)を殺したとき、返り血を浴びてライ病になったという伝説にちなむテラスだが、何のために作られたかは分かっていないらしい。王の瞑想のための場所とも言われてている。


ナーガのレリーフで埋められた高い壁が螺旋状にそびえ、その中を抜けて登った丘の上に、一体の座像があった。
この像はレプリカで本体は博物館にあるらしいのだが、何の像なのかは諸説あるらしい。

伝説のライ王という説、ヒンドゥーの閻魔大王ヤマという説、そして日本では毘沙門天として知られる財宝の神クベーラ。。

ちなみにライというのは放送禁止用語だそうだ。
ハンセンというとスタン・ハンセンしか思い浮かばないが、言い換えたところで何が変わるわけでもなかろう。
どうでもいいが、ハンセン病ならまだしもハンセン氏病という表現は何か語呂も悪いしくどい気がする。

そんな感じでアンコール・トムの観光は終了し、我々はバスに乗って街に戻った。


昼食はカンボジア名物アモックを含めたカンボジア料理。



アモックというのは…何だろう。白身魚を使った、ココナッツミルク風スパイス料理?アジア風カレーの味がするが、辛くはない。
あとは大根のスープや、肉・魚のグリル(照り焼きっぽい)などが出てきた。

その後、ホテルへ戻る。意外と体は疲れているようで、出発まで昼寝。



3.アンコール・ワット


午後はいよいよアンコール・ワットへ向かう。

アンコール・ワットは死者を送るための寺院である。
さっきも書いたが、アンコールの中でもこの遺跡だけは死者の国のある西を向いているため、観光は午後が適していると言うわけだ。

カンボジアの代名詞であるこの寺院にはまだたくさんの謎が残されている。
クメール人がこの寺院の存在を数百年の間忘れ去っていたという歴史もあり、発見当初に探検家がドカドカ死んだという有名な呪いの他にも、これだけ巨大な建造物をどうやって正確に設計したのかや、どこからこれだけの石を運んできたかなど、未だに分かっていないらしい。

幅の広い濠で囲まれているのはこのあたりの遺跡の共通点で、入り口には橋が架かっている。

ヒンドゥーの世界観を表しているらしくて、濠は大海を、城壁はヒマラヤを、そして塔は神々の住む山スメールのことなのだそうだ。

橋を渡った先には門がある。中央の門ではなく右側の門を通ると、中にヴィシュヌ神の像が立っていた。




ヒンドゥー教寺院であるアンコールワットは、当時の王スールヤヴァルマン2世がヴィシュヌ神に捧げたと言われている。
普通、ヴィシュヌの腕は4本で描かれるのだが、この像は8本。アシュラマンより多い。














門を抜けると、ついにあのアンコール・ワットが眼前に現れた。




塔は上から見るとサイコロの5のような形をしていて、正面からは見える塔は3本。

中央の門から寺院まではまっすぐ長い道が続き、左右には経蔵(教典を入れるための蔵)と広い池がある。
池付近からは5本の塔が全て見えるようになっていて、水面にはアンコール・ワットが映し出される。



いよいよ寺院に入る。
破損が激しく修復中の世界遺産ではあるが、これだけ内部を歩き回れるところは他に見たことがない。

アンコール・ワットは三層構造で、中央に行くにつれて高い位置にある3つの回廊と5本の塔で構成されている。

第一回廊はヒンドゥー教の壁画が並ぶ。



基本的に東西南北それぞれ2つずつのテーマの壁画が描かれ、さらに四隅の十字スペースも壁画で埋まっている。
実はアンコール・ワットは完成前に王が死んだために未完成となっており、全てが埋まっているわけではないらしい。
人が入る面から順にレリーフが彫られているようだ。

我々は第一回廊の北西部から入った(と思う)。

ぐるっと回る間にいろいろな壁画を見た。全長760メートルに渡る大壁画群。多分全部は見てないと思うのだが、印象に残ったものをピックアップする。

最初に入った角には、『ラーマーヤナ』をテーマにしたレリーフが描かれていた。ここは他にもシヴァ神やラーヴァナなどが描かれ、破損も多いが壁画が充実している。



南面東側は天国と地獄をテーマにした長さ66メートルに及ぶ壁画。

どうも時系列に描かれているらしく、最初は天国・審判・地獄の上下3分割なのだが途中でヤマ(閻魔大王)が現れるとそれ以降は天国と地獄の2分割になる。ちょっと芸が細かい。

ちなみにこの壁画の地獄は様々な責め苦が描かれた拷問図鑑になってたりする。





そこから東側の回廊に入ると、『ラーマーヤナ』の神々の軍(というか猿)VSアスラ軍の争い。
『ラーマーヤナ』はラーマ王子が猿の英雄ハヌマーンの助けを借り、スリランカの魔王ラーヴァナからシータ姫を助け出す、というような物語だ。
素手で戦う猿(ラーマ軍)と、武器を持って戦うアスラ軍が印象的だ。

ハヌマーンは『ラーマーヤナ』に登場する猿の将軍で、一説には中国『西遊記』の孫悟空のモデルになったと言われている。
つまり、この伝説がなければドラゴンボールすら生まれていなかったと言うことだ。そう考えると世界への影響も無視できない。何しろアメリカではドラゴンボールが今なお大ブームなのだ。

東面南側の壁画はあの乳海攪拌。アンコール・トムの欄干にもあったヒンドゥーの創世神話だ。

亀に乗っかった山を挟んで神々とアスラが左右から龍を引っ張っている。
左側はアスラ、右側は神々。ただし、神々はアスラに比べて人数が足りないので、ハヌマーンが参加している。細かい演出だ。

  


中央の亀はクールマと言って、ヴィシュヌ神の化身と言われている。
ヴィシュヌ神には10の化身があるのだが、その一つだ。

乳海攪拌には最初亀がいなかったのだが、支柱にした山を回転させていたら海の底に穴が空きそうだったので、それを支えるためにヴィシュヌが亀に変身したという。

壁画には山の上にもヴィシュヌが乗っている。山の下と上の両方にヴィシュヌがいることになるが、多分クールマ=ヴィシュヌは比較的後生になって結びつけられたのかも知れない。

上の方には、乳海攪拌によって生まれてきた水の精アプサラスが踊っている。アプサラスはカンボジアでやたらと見かける。
アプサラダンスがこの国の伝統芸能になっているのも、クメール人が長い間アプサラにとりわけこだわってきたからなのだろう。


一度回廊の外側に出て、第二回廊に登る際に十字回廊という道を通る。
ここには江戸時代の日本人の落書きがあることで有名だ。
落書きも300年残れば観光名所になると言うことだ。










第三回廊へは…結構急な階段を登る必要がある。どれぐらい急かというと、「登りますか?」と聞かれるぐらい急だ。
登らなかった客もいたような気がするが、普通は登るだろう。


←見ろ!!人がゴミのようだ!


登った先の第三回廊からは外の景色が一望できた。気球が上がっているのも見える。
中央祀堂には貯水池みたいなものがあり、昔は水が蓄えられていたらしいが、今ではタダの撮影ポイントだ。

この第三回廊、登るのも面倒なんだが降りる方がよっぽど怖い。
四面のうち一カ所だけ手すりのある場所があり、そっち側だけ長蛇の列ができている。
一応その列で集合、という話だったのだが、気の早いSHOHEとIミツは別の壁面から降りていった。
俺は無難に手すりのある面から降りていったが、ツアーの別の人と

「あれ、他の2人は自己責任で危ない方から?」
「ええ。まぁ、上で待ってるか下で待ってるかの違いだと思うんですが」
「言ってやりゃいいじゃないですか」

と言うような会話をした。

そういうと、「我々がイラクで捕まってから自己責任という言葉が使われ始めた」とか言っている人たちがいたが、全然そんなことはなくってそれより遙か昔の俺の日記だか旅行記でも使っている。

言葉とはそのまま意識の問題なんじゃないだろうか。そういう意識がなかったからそういう言葉に巡り会えなかっただけの気がしてならない。
だから、新しいことを知るとその後急にその事実や出来事に遭遇することが増えたりするが、結局それは意識の問題なのだ。
自分と無縁の言葉にはなかなか気づきにくい。



4.プノンバケン

アンコールワットを出た後、プノン・バケンという山からサンセットを望む。

アンコールの三大聖山なんだそうだ。

上まで象で登ることもできるようだが、結局徒歩で登った。。
まぁ、前に万里の長城で痛い目を見てるからそれに比べれば全然大丈夫なのだが、結構傾斜はきつい。

山を登り切った後、さらにその後寺院らしき建物に登る。何かこのツアー、登ってばっかりだ。

頂上からの眺めはなかなかのものだ。はるか彼方にアンコール・ワットも見える

俺はたまたま座った場所が丁度西向きの日没がよく見える場所で、ラッキーだった。

沈む太陽を見ながら人生について思いをはせた後、下りは「象の道」を通って戻る。
傾斜はかなりなだらかなのだが、日没後だから滅茶苦茶暗いこと、なだらかな分距離が結構あること、そしてやたらと象臭いのが難点だ。

降りきったところで子供たちからアンコールの本(写真集と解説書)を売りつけられた。
値切った結果2冊で5ドルと結構安かったのだが、この日記書くのに意外と役立っているので正解だった。

晩飯は何故か影絵のショー。
言葉も分からないしストーリー仕立てなのでさっぱり楽しめなかったが、雰囲気は味わえた。

料理の内容は、豚のショウガ焼きや焼きサバなど、不思議なぐらい日本人向けだった。とても美味しい。
調べてみたが、どうやらカンボジア料理というのは中華料理をベースに、タイとベトナムの要素を付け加えた料理らしい。
日本とはちょっと味付けの違うタレをつけ、サラダと一緒に食べるのがカンボジア流のようだ。これはこれで美味しい。



デザートはパイナップルとドラゴンフルーツと…謎のフルーツ。
ガイドに聞いたら、ロンガンと言っていた。龍眼と書くらしい。
SHOHEはバナナに似ていると言っていたが、その後誰に聞いても同意されなかった。
食感はライチとぶどうを足したような感じだが、味は少なくともバナナではない。
どちらかというと、Iミツが「梨に似ている」と言ったのに近い。

ちなみにこのロンガン、現地ではミーンと言うらしい。覚えておこう。

食事が終わったらホテルへ。
結構回ったので疲れてしまった。

SHOHEがワット・ポーで味を占めたのか、一人でマッサージを呼んでいた。
60分契約だったと思ったが、妙に早く終わった気がする。

最初に「Strong?」と聞かれて「Strong!」と即答したようで、もの凄く痛かったようだ。


第4章 ウィークエンドマーケットへ  TOPへ  第6章 アンコール遺跡群へ