雑記帳
運命
卒業検定日記
味
いいのか?
うどん
第十回 うどん 12月13日
「う」のテーマは『うまいと言わなきゃいけないバナナマフィン。』をタイトルにしてくれという意見もあったのだが、ネタにしても分かるのはごく数名と寂しいので、やめた。今日のテーマは「うどん」。
大学の側に「ごんべい」という、実際に聞くと「ボンベイ」と全然区別かつかない名前のうどん屋がある。しゃれじゃなくて、マジで間違える。
それはいいとして、うどん専門店ってのは結構珍しい。そば屋にうどんが置いてある状態というのが普通だろう。そば屋でバイトしてる某友人は、「そば屋で絶対にうどんは注文しないほうがいい」と言っていた。なんでも、そば屋での注文率は、そば10に対してうどん1ぐらいらしい。全然出ないから、店も力を入れないし、出てきてもうどん自体が結構古かったりするらしい。その点うどん専門店ならうどんと後は丼物くらいしか出ないので、心配は要らない。うどんも結構コシがあって、それなりに美味しい。俺はよくそこで「辛しあんかけうどん」というのを食べる。
さて、1ヶ月ほど前、ごんべいで一人で辛しあんかけうどんを食べていると、高校生4人組で入ってきた。
「いつものー」「いつものー」「いつものー」「いつものー」
入店と同時に叫ぶ彼らは恐らく早稲田実業の生徒だろうか。驚いて思わず振り向いてしまった。バーとかで「いつもの」っていうとオリジナルのカクテルが出てくるとかいう状況ならいいが、どうも「行きつけのうどん屋」というのは妙だ。しかもいつも注文するものが決まっているのだ。
おばちゃん、登場。「いつものってなんだよ」とかかましてくれると最高だったのだが、残念なことにちゃんと「いつもの」料理は存在するらしい。そろそろ俺も食い終わり、次の授業に出なければいけないのだが、非常に気になる。常連客、いったい何を注文するのだろうか。
「おれ冷たいのー」「俺温かいやつ」「俺も冷たいほう」「どーしようかな。じゃあ、冷たいほう」
冷たいのと温かいのがある? ということは、何かしらのうどんのようだ。この店には結構、「たぬきうどん」「冷やしたぬき」、「納豆うどん」「冷やし納豆うどん」のように、ホットとアイスが両方あるものが多い。
「あー、やっぱり俺、温かいほうにするわ。なんか、寒くなってきた」
おばちゃん「じゃあ、温かいのと冷たいの2つずつね」
おばちゃん、商品名を言ってくれ! 俺はもう帰りたいんだ!
おばちゃん、俺の心の声が届いたのか、厨房に注文を通す。
「カツ丼!温かいの二つと、冷たいの二つ」
「か、かつ丼なのか……???」
温かいカツ丼はいいとして、「冷たいカツ丼」ってなんだ!!!
落ちはつけない。
第九回 いいのか? 12月9日
別に広辞苑を引いた訳ではないのだが、なんとなく思うところがあったので今回のテーマは「いいのか?」。
今日は朝一番から中国語のテスト。なぜか勢い余って始発に乗って勉強しようと思ったのだが、デニーズで爆睡。だめじゃん。
そんなことはともかく、テストも終わって開放感に浸っていると、腹が減ってくる。そう言えば、朝食は5時半くらいだった。というわけで、11時半ごろ、メーヤウに行くことにする。メーヤウというのは、ボンベイに物理的に通えなくなって途方にくれていた俺を救ってくれた早稲田のカレー屋で、早稲田周辺では学食の次に行列ができる店だ。この店の特長は、とにかく「辛い」ことである。なんか、「ボンベイは辛い」という噂がまことしやかに流れて久しいが、ボンベイはカシミールが辛いのであって、普通のカレーは特別辛いわけではない。
ところが、メーヤウは辛いのだ。俺が入学した時、メーヤウは文学部キャンパスから大隈講堂に行く途中にあったのだが、その時は「★の数で辛さの度合いを表示」という斬新にしてどこかにありそうな制度に感動したものだ。★の数は五段階。★〜★★★★★に分かれているのだが、よく見るとメニューのどこにも「★一つ」というのが無い。てことは、★二つからなんだから四段階じゃん。
メーヤウのメニューを紹介すると
レギュラーメニュー:レッドカリー(★★★) ポークカリー(★★★) チキンカリー(★★★★)
週代わりメニュー:パンプキンカリー(★★) グリーンカリー(★★) カントリーカリー(★★★★)
激辛チキンカリー(★★★★★)
となっている。激辛チキンカリーについては、激辛王への道で紹介した。基本的にはこの店にはレギュラーメニュー3つ+週代わりメニュー1つの、四種類のカレーが置いてある。
で、この★が厄介なんだが、★★でも、他のどの店のカレーより十分辛いのだ。某Hなどは、パンプキンカリーでひいひい言っていた。大体★三つでボンベイのカシミールレベルと言える。週代わりメニューがカントリーか激辛チキンの時は、店には★三つ以上しか存在しないと言うとんでもない状況になるのである。
このメーヤウの「辛さ」は学内でも有名であり、にも関わらず店の前には長蛇の列ができる。メーヤウは辛いからこそメーヤウなのであり、そこでは昔から数々の戦いが繰り広げられてきた男たちの戦場なのである(いや、まぁ男には限らないが。実際、女の子の方が辛いものには強いらしいし)。
ところが! その様相が変わってきた。
メーヤウが引っ越したのだ。それもわが文学部キャンパスの前に。
それ自体は大変喜ばしいことなのだが、メニューに変更が加わった。俺に取っては内閣大改造に匹敵する重大な変革である。なんと、グリーンカリー(★★)がレギュラーメニューに移ってしまったのだ。さらにカントリーカリーの★が4つから3つに格下げ。その上なんと新週代わりメニューに「キーマカリー(★)」が加わってしまったのである。
何と言うことだろう。★は二つから、それが世界の定説であり、メーヤウのこだわりであると思っていたのに、なんと安易な決断なのだ。キーマカリーの味はともかくとして、そういうこだわりを失いかけていたメーヤウに私は少なからず不安を覚えていた。変わり行くメーヤウ。それも時代の流れなのか……
しかし、まだキーマカリーが週代わりであることで、何とか威厳を保ちつづけようと言う意地も垣間見えた。つきに一週間だけの★一つの公開。土俵際の踏ん張りのようなものを感じつつ、私はメーヤウを温かい目で見守る所存だった。
だが、メーヤウは私の予想をさらに裏切った。
「インド風野菜カリー」、レギュラーメニューに追加
なんと、★×1/2 ! に、にぶんのいちいぃぃぃぃ!!??
そこまで日和るか、メーヤウ!
何が「野菜たっぷりの辛さを抑えたソフトなカリー」だ。硬派なお前はどこに行った!
俺は怒りに打ち震えながら、野菜カリーを食っていた。気がつくと涙が頬を伝っていた。
ハードからライトへ。それは時代の風潮なのかもしれない。こだわりよりも一般受け。狭く不覚より、広く浅く。だが、それでいいのか? 本当にいいのか?
かなめちゃんが、流暢に日本語を話すようになってしまったら
日本の言語文化は著しく崩壊の一途をたどるだろう。
住田が元気はつらつとした表情で登校してきたら、日本の医者はみな廃業してしまいかねない。
イクラちゃんが「僕、実はちゃんとしゃべれますよ。大体最近の政治は……」
などと言い出したら、サザエさんは終わってしまうだろう。
メーヤウがやったのは、そういうことなのだ。いわば世界の秩序を乱し、明るい未来を暗黒のどん底に落とし、将来有望な子供たちの希望を絶望へと変化せしめる、まさに罪の罪、悪の悪である。
いいのか? それで!!
第八回 味 12月8日
「運命」書いてから、力尽きてしばらく更新が滞っていた雑記帳。あのあたりは一番イっちゃってた時期だからねぇ。書くことがなくなってたのね。でも、なんか書かにゃ。
というわけで、ネタ振りのためにこれからしばらく広辞苑をパラパラめくってぴたっと止まったページをキーワードに雑記帳を書いてみることにします。でも、それやると最初のほうのページとか最後のほうのページとかの言葉が選ばれずに偏ってしまう可能性があるので、50音順に行きましょう。ええ、いくんです。
第一回目の今日は「あ」から、「味」です。
味覚って言うのは人それぞれだと、つくづく思います。味覚が鈍いことで自他ともに認める誰とか、皆に味覚がいまいちだといわれてるけど本人は否定する誰とか、自称グルメだけどどうも必ずしもそうとはいえないんじゃないかと思われる誰とか、ね。あと、中国にいって蝉のから揚げ買ってくるようなやつもいたなぁ。誰とはいわんが。
人によっての好き嫌いも大きいしね。マクドナルドなんかだと、マック牛なべパンと、グラタンコロッケバーガーは、それぞれ本当に賛否両論。褒めるやつは褒めるし、けなすやつはけちょんけちょん。
でも、個人の味覚そのものっていうのは、はっきり言ってあんまりみんな大したことはないんじゃないかと思う。さっき言った好みの問題もあるし、その時の体調とかによっても随分左右されるしね。腹が減ってりゃなんでもうまい。外で食べればなんでもおいしい(これは以前キャンプ場付近のスーパーで売ってたバーベキュー用肉についてたシールのフレーズ。肉自体の味に関する責任を完全に放棄している)。体調悪けりゃ何食ったってうまくはないんだな。
味には、いくつかの要素があると思う。甘い・酸っぱい・しょっぱい・苦い・渋い だったかな? 旨いだったかも。 そういう味の五要素ってのがあって、舌ってのはそれしか感じないらしいんだけど、それだけだと絶対に食べ物の味は成立しないでしょ。旨いかまずいかってのを含めて、その食べ物の味の「個性」を決定するのは「香」なんだと思う。鼻詰まってるときに何を食べてもちっとも味がしないのを考えると、匂いってのは味にものすごい影響を与えてるんじゃないかな。匂いのほかに見た目とか、歯ざわり舌触りもすごく重要なんだけどね。
さて、上の要素に「辛い」がないのに気づいただろうか。「辛い」っていうのは、味ではないのだ。あれはタダの刺激なのね。だから、「辛すぎて味がわからない」というのは、辛さの要素が強すぎるというよりは、舌が辛さに耐えられなくて。自分に耐えられる程度の辛さは、味覚を敏感にする働きがある。だからカシミールでもメーヤウのカレーでも、好きな人はすごい好きなのね。俺を含めて。
味に関してはまだ色々書くこともあるんだが、雑記帳はちょっと短めに抑えたいので、ここまでにしときます。
次回は「い」。テーマ募集中。
第七回 卒業検定日記 11月20日
この日記は、7月下旬に行われた自動車教習所(松○中央自動車学校)での卒業検定の記録です。書いたときに何人かに公開したのですが、好評だったので載せておきます。夏真っ盛りの卒業検定。
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深夜バイト明けの卒業検定。何も好き好んでこんな自殺行為やりたいわけじゃない。午前中は
これからしばらく夏期講習が入り、教習所はけち臭くも水曜と土曜しか試験をやらないのだ。
仕方なく、「前髪が掛かっている」という理由で再度撮らされた写真と、予約無断キャンセル
の違約金計5000円をもって、不眠不休のまま教習所へ行く事に。
眠いとか言うよりも、暑い。ひどい暑さだ。身体が衰弱しているのになんて事をしてくれるのだ。
テレビで40度とか言ってる。なめんな。待合室に入ると、人は結構いる。20人以上。
ふと見ると、セット教習の時に一緒だったヤンキーの兄ちゃんがいる。ロン毛口ヒゲに鼻ピアス
と、これだけだとどうだかという感じだが、多分見たら分かる。奴は一流のヤンキーだ。
かつて親友が族のかしらになってしまった俺には分かる。
ていうか、今教習所で一番おっかないのは誰?というアンケートを取ったら、2位以下をぶっちぎ
りで突き放して鼻歌交じりでトップを駆け抜けるであろうぐらい人相の悪い兄ちゃんだ。
セット教習ではなぜかこの兄ちゃんと結構仲良くなってしまったのだが……
名前を呼ばれて、順番を決める。ちなみに、俺くらい免許取得に時間の掛かってる奴はいないだろうと
自負していたが、俺より教習番号の若い奴がなんと今日だけで4人もいた。恐るべし。
1番何とか君、2番何とか君、3番何とか君、4番……オレだ。
呼ばれたので、座る。しかし……
どういうわけか、鼻ピアス君が俺の目の前に座る。どうやら同じ車らしい。なんていう縁だ。
向うもこちらを覚えているらしく、話しかけて来た。しかし、見かけは極悪人だが、結構
いい奴と言うか、いや多分いい奴では無いだろうが、結構礼儀正しいのだ。ちゃんと敬語で
話しかけてくる。こちらもちゃんと敬語で返す。どうやら彼は一度卒業検定に落ちたらしい。
なんでも、縦列駐車で4回切り返しをしたそうだ。知らなかったといっているが、最初に
説明してるではないか。4回以上切り替えしたら一発中止だよって。以上が分からんのか?
まぁ、鼻ピアス君が目の前に座った事も十分衝撃的なのだが、それよりも俺は4番目に
名前を呼ばれたはずなのに3番目に座っている。そのことを言おうとしたら、指導員が
「何?俺が何言ってるかわからない?」みたいな失礼な事を言ってきたので、何事も
なかったことにした。
鼻ピアス君が落ちた縦列駐車。どう考えても方向転換のほうがいいに決まっている。
そして、今日は……やはり、縦列駐車であった。予定通りだ。政治的策略に違いない。
地図を渡され、道を決める。地元なので大体分かるが、よりによってよくわからない道を通らないといけない。
どこだよここ、としばらく考えていたら、バス通りだった。最近バスに乗らないからすっかり
忘れておったわ。
鼻ピアス君と仲良く二人で休み時間。見れば見るほど恐い。
「この道、わかりにくいっすよね」
地元だからわからないはずがないのだが、もちろん相槌を打っておく。これで地元だとばれては
いけなくなった。
鼻ピアス君と、星野さんがヤバイということで意気統合する。ていうか本当にやばい。あの人。
って、松戸中央行ってた人しか分からんか。
路上の試験は、4人班で二人ずつ車に乗る。俺は後発で、鼻ピアス君とは別の組だ。俺の
パートナーは……
恐らく、今日の卒検参加者の中で、2番目にアウトローな奴だろう。周りの人間とちょっと
オーラが違う。ヤンキーと言うよりは体育会系っぽいが、なんか「あー、授業たりーから
今日早くフけよ」みたいな、不真面目を絵に描いたような体育会系だ。って、それだと
俺と変わらないか。まぁ、いい。歳は18歳くらいだろう。で、そいつがよりによって
タメ口を聞いてくる。鼻ピアスでさえ敬語なのに。こういう奴はダメである。初対面
の人間には敬語、それが社会のルールだ。
さて、後発組はバスで行くのだが、タメ口君はバスの助手席だ。バスが乗り換え地点に
到着すると、タメ口君は他は誰も降りてないのに一人だけ外に出て、煙草を吸っている。
ダメである。そして、木につながれている猫と戯れている。まぁそれはいいのだが。
猛暑の中30分も待たされて、やっと交代。ダメ君と二人だ。
教官は、サバカレーで有名な「コーチ」に出てきた網元の顔を持つおじさんだった。初めて見る顔だ。
ここで、さっきの伏線が生きてくる。俺は3番目に座っていたので、後発の一発目なのだ。
しかし、名前を呼ばれたのは4番目だ。別に問題なさそうなのだが、教官はダメ君が
先だ、と言っている。これは実はどうでも良くなくて、一人目と二人目は違うコースを使う
ことになっているのだ。俺は3番目の地図を渡され、ダメ君は4番目の地図を渡された。
ダメ君が先に乗ると、さっき決めた自主経路が使えなくなる。
原因はダメ君が名前を呼ばれた時に席に座らなかったせいである。やはりダメだ。
結局「よくわからない」ということに落ちつかせて、俺が先に乗ることになった。
別に車に乗ってどうしたとか書いてもしょうがないので、省略。とりあえず目的地に着いた。
そして、乗り換え。……ダメ君は、最初の安全確認をしなかった。車の下を見て、って奴。
しかし……俺もやってないんじゃん?実は。記憶が無いぞ。俺がダメ君じゃん。
結局ダメ君は俺の影響を受けて安全確認を忘れて行った。ダメなところを真似て行くからダメ君になるのだ。
さて、ダメ君の運転。教官の言うとおりに動く。まず右折、そして次の交差点を右折……
プスン。突然交差点でエンスト。
は、早っ
ダメ君、大混乱。なにやら一人でブツブツ怒ってます。そりゃ怒るわな。
「これ、どーすんですか?」
「どーするって、どーするもこーするもねーだろ」
「どーしたらいいっすかね」(イライラ)
「いいのか?俺に質問して答えたら、一発中止だぞ」
ほう。では、今のは一発中止になってないのか。しかしダメ君既に絶望ムード。文脈を読めや。
ダメ君、投げやりになってやる気のない運転。途中、自転車を轢きそうになる。
「んだよ、あのガキ!」ダメ君、ほんとに言った。ダメだろ、これじゃ。
さて、なんとか目的地に着いて今度は縦列駐車。ダメ君すでにあきらめモード。
落とすんなら早く落とせってんだよ、くそ。
仕方ないので、なだめてやる。
「一発中止ってその場で終わるらしいから、まだ続いてるって事は見こみがあるってことだと思うよ」
ダメ君、納得いかないらしい。自慢じゃないが俺もダメだと思う。
さて、縦列駐車。ここで俺、まさかの大ミス。
とりあえず、安全の確認は思い出したのでやる。そして、縦列駐車は得意(得意か?)なので
問題無くクリア……のはずだった。
何か、後ろが妙に見やすい。おかしい。練習の時は、もっと後ろが見にくかったはずだ。
……シートベルトしてないじゃん。
もはやダメダメ君と化した俺。あわててシートベルト締める。
「今更遅いからわざわざ着けなくていいんだよ。
着けてもどうせ引くとこは引いてるから」
ひどい事を言う網元。しかしまぁ、なんとか無難にクリア。しかし、シートベルトの精神的
ダメージはでかい。
ダメ君も縦列は上手く終わり、あとは待機。ダメ君は落ちこみモードでこれ以上関わりたく
無かったので、鼻ピアス君と、鼻ピアス君と一緒に車に乗っていた身長が180センチくらいある
長身の大学生ともう一人あまり特徴のない人達と、話していた。
ここの教習所付近は坂道が多く、絶対にいじめだろう、とか、恐らく坂道に関しては他の教習所
出た奴の何倍も上手いだろう、とか、エンストに関しても他行ったらまずやらないだろう、とか
色々言っていた。地元民である事は名乗れない。
さて、ここで鼻ピアス君の素性がちょっと明らかになる。
1.鼻ピアス君はケンカが強い(そんなん、見ればだれでも予想がつく)
2.鼻ピアス君は教官にガンたれて、それ以降その教官とは当たっていない
そして、話題が高校の話になった。
特徴無し君「高校どこ?」
長身君「・・・・高校(聞き取れなかったが、多分茨城県)」
鼻ピアス君、流南出身。しかも1年で中退。筋金入ってました。俺の目はただしかった。
特徴無し君「流南って校則厳しいんでしょ?」
鼻ピアス君「あー、なんか、東葛から校長が新しく来て、そっから急に厳しくなってさぁ」
!!!絶体絶命のピンチである。東葛出身だなんて、口が割けても言えない。特徴無し君、高校行ってない。
なんでこんなギャグ漫画(カメレオン)みたいな展開に……????
順番から言うと俺だが、何も言わない。目をそらして、何か考え事をしているフりをする俺。
「合格発表って何時ごろから?」
必死に話題をそらす俺。
「12時30分頃」
それる話題。地球は救われた!
そんなこんなで、命を削った待機時間も終わり、合格発表。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たたたたたたたたたたたた
合格。
なんと、ダメ君も合格である。びっくり。
こうして、鼻ピアス君と長身君と握手を交わし、とりあえず家に帰って飯を食うことにした。
ダメ君俺よりさらに地元らしく、とっとと家に帰る。
こうして長い教習生活が終わった……
なお、違約金5000円のうち1000円は、写真代ということで負けてもらった。良かった良かった。
第六回 運命 11月19日
運命、と書いて「さだめ」と読む。運命とは、定められた人生のことだ。
生きていく上で、人間は多くの選択を迫られる。朝食はご飯にするかパンにするかという卑近なものから、どの会社に就職するか、というような人生を大きく決定付けかねない重大なものまで、この選択という行為は常につきまとってくる。また、我々の意志に依存せず、自然現象を含めた偶然の要素、他人が我々に及ぼす何らかの現象も、選択に含まれる。明日雨が降るかどうか、とか、あいつが今日学校にくるかどうか、などという自分ではどうしようもない部分も含めて、である。
これらの選択の結果が多かれ少なかれ我々の人生を左右するのだが、これが予め定まっていたものである、というのが運命論だ。
普通、運命というのはあまり良い意味には使われない。どちらかというと、不幸な出来事に対して「これも運命か……」と諦める時に何にやつ当たりするわけでもなく、絶望混じりにつぶやくようなニュアンスがメインなのではないだろうか。
この運命という言葉はまた、「変えられる」とか「変えられない」とかいう言葉とセットに使われることが多い。運命を変える、という行為が何を示しているのかはよく分からないが、全てが運命に支配されていると考えるならば、運命を変えること自体も(実際には変えた気になっているだけだが)運命なのだ、という風に考えるのが自然だろう。要するに、何をしようが、どのように行動しようが、全ては運命によって定められていることに過ぎない、ということだ。
この運命論、信じたくないという心理もあるだろうし、信じていないものも多いだろう。自分の未来は自分で切り開きたい。自分がやることが全て決まっていたことだとは思いたくない。
だが、運命が決まっていないということは、決して否定できない。我々が運命の存在を疑うこと自体が、運命によって予定されているとも考えられるからだ。それは、神の存在が絶対的に否定できないことにも似ている。
運命は、四次元と関係があるのではとないかと考えたことがある。位置だけが決まる0次元、長さが決まる一次元、平面の世界の二次元、そして現在我々が存在している空間の世界三次元の上にあるといわれる、時間の要素を加えた四次元の世界である。二次元の住人(つまり平面世界にしか存在しないもの)にとっては、空間を認識することが絶対に出来ないのと同様に、我々には四次元を見ることはできない。
もしも四次元が見られるなら、我々は同じ物体の生成から消失までを一度に目の当たりにすることができるという。時間という我々にはなすすべもない対象が、見えるようになるのだ。それはつまり、同時に過去と未来が定まっていることを意味する。定まった未来、すなわち運命である。
四次元の概念を利用したものが、タイムマシンだ。誰もが知っている空想の産物、夢の機械としてのタイムマシンだが、これも未来を見て帰ってこれるという機能があるなら、未来は決まっていなければならないはずだ。
では、運命は本当に決まっているのだろうか。
並行世界という話を聞いたことがある人も居るかもしれない。パラレルワールドという奴だ。未来というものは可能性の数だけ分岐しているということで、例えば私が朝飯をパンにするかご飯にするかの選択権はもちろん私にゆだねられており、運命とは全く無関係だ。そして、どちらを選んだかで、未来が分岐する。私がご飯を食べたとすると、この世界のどこかに、私が朝食にパンを食べた未来が存在するということだ。これも一概に否定はできないし、面白い考え方だ。だが、こうも考えられないだろうか。
因果律というものがある。全ては原因があって、結果が生じるという全ての法則の前提となる法則だ。原因よりも結果が先に来ることは無い。ちょっと考えれば何を当たり前のことを、という感じだが、もしも運命が決まっているのなら、全ての因果が解き明かされる。
逆に、因果律をものすごく厳密に見ていくと、運命は決まらざるを得ないのじゃないかという気もしてくる。風が吹くと、桶屋が儲かる。原因と結果が続いていく実例を大雑把にあらわしたものだが、これをさらに厳密に考えてみる。
例えば、私が今日夜中の2時に寝るとしよう。この場合と、夜中の3時に寝た場合では、恐らく体調に幾分かの変化が現れるだろう。単に明日眠い、風邪をひいてしまう、予測できる事態はいくらでもある。
だが、さらに厳密に考えると、恐らく2時に寝た時と3時に寝た時の結果は、恐らく決まっているのだろう。これは一つの選択である。2時に寝る選択と2時1分に寝る選択と……と、選択は無数にあるが、それぞれに結果は用意されているはずだ。その差が一分程度なら、結果の差も微々たるものだろう。だが、その結果の差がさらに未来を分割していく気がする。
どういうことかというと、私がここで2時に寝るか、2時1分に寝るかという問題は、私次第なのかという疑問だ。運命的なもの、といっているわけではない。結果として私が2時1分に寝たとするならば、私が2時1分に寝ることになった理由=原因があるのではないか、ということだ。つまり、2時に寝るのと2時1分に寝たのでは大差は無いが、ではなぜ私は2時ではなく2時1分に寝たのか。それは、偶然というよりは、たまたまメールを一通多めに書いたからとか、もっと分かりにくいところで言うと今朝1分ほど起きたのが遅かったから通常より1分長く起きられたとか、そういう何かしらの原因があるのではないかと考えるのである。
それが続いていくことによって、人生が決まっていく。それは自分ひとりで決まるわけではないので、予想が全く出来ない。しかし、全ての人間の行動に、人間以外の自然現象的な動き(予知は出来ないがこれも厳密な意味では決まっていると言えるだろう)をプラスした全ての情報さえ明らかになれば、恐らく答えは決まってしまう。
仮に、果てしなく高性能なコンピューターができたとする。
そこに、全ての人間と全ての自然現象の現在状況を完璧に入力する。
その上で、原因と結果を計算させれば、もしかすると全ての並行世界の中から、これしかないという道を導き出してくれるのかもしれない。そしてそれこそが、四次元世界で目の当たりにできるであろう定められた世界の真実であり、我々が運命と呼ぶ定められた人生の全てなのかもしれない。