雑記帳

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夢(その1)
夢(その2)

環境


第五回 環境 10月29日

思いのほかに反響があって驚きの雑記帳。今回のテーマは、環境。と言っても、別に環境問題とかじゃない。環境と教育について、と言ったほうがいいのかな。

塾や家庭教師を長くやっている身としては、なんだかんだ言って結構教育というものについて考えたりするわけだ。で、やっぱり感じるのは、「勉強のできる子」と「勉強の出来ない子」の違い。もちろん素養と言うのもあるのだろうが、じゃあその素養はどこで決まるのか? 先天性というか、遺伝子だけが原因というのはちょっと違う気がする。

知り合いの塾の先生などは、「小さい頃親が子供にどう接してきたか」、というのが大きいと言う。絵本をよく読んであげたりして、とにかく子供と話す時間を多く取ってやると、子供は人の話をよく聞く習慣ができるそうだ。確かに、勉強のできる・できないは、先生の話をちゃんと聞くかで大分変わる気がする。聞けばそんなに難しいことでなくても、集中力がこころもとないというか、どうも人の話が聞けない。そのあたりが鍵の一つなのかもしれない。

さて、話をもう少し成長した子供に合わせてみよう。

先日、弟の定期テストの問題をやってみた。世界史である。これがまた、異常に難しい。平均点40点くらいと言っていたか、弟は25点くらいだった。どちらにしても赤点である。いや、赤点の話はどうでもよい。

どうも、数学にしても、歴史などにしても、自分がやっていた問題と難易度的にはほとんど差が無いのではないか、という気がしてきた。自分が通っていた学校は進学校で、弟の高校とは入試の難易度も偏差値にして20程度とかなりの差がある。にも関わらず、定期テストが難しい。これは、ブランクが長いという理由では片付けられない。何しろ、習った記憶の無い世界史の問題とかがある。

よく考えてみれば、公立の学校など、カリキュラムにもそれほど差は無いし、教師もあちこちの学校を回る。確かに生徒のレベルに合わせた授業が理想なのだろうが、それは教師のレベルに依存する。レベル差をつけずにオリジナルの授業をやる先生も多いだろうし、生徒のレベルが分からずに平均40点のテストを作ってしまう先生もいる。実際は、どこの学校でもそれほど大きく授業レベルの差は出ないのかもしれない。

では、進学校と呼ばれる学校の生徒は、なぜ有名大学に入ってしまったりするのか。

どうもわからないのだが、実感として思うのは、それが環境なのではないかと言うこと。つまり、一部の私立高校や付属高校などを除いては、授業のレベルやテストの問題のレベルにそれほど極端な差は出ない。しかし、生徒のレベル(というか意識レベル)が大きく違う。有名進学校なんかに入ってしまうと、自分自身がそこそこの大学でよかったり、進学したくなかったりしても、まわりとどうしても釣り合わない。親もうるさい。だから、自然に自分はいい大学に行かなきゃいけないんだな、と思うようになってくる。結果、ものすごくマイペースでもない限り、高校のレベルに見合った大学へ進学せざるを得なくなるのだ。

生活習慣なんかもそうで、例えば俺の行っていた高校は、男子生徒のほとんどがタバコを吸わなかった。いまどき非常に珍しい。これは、そもそもタバコを吸うほうが少数派なので、わざわざタバコなど吸っていると浮いてしまう。だから、別にそこまでしてタバコを吸うモチベーションも無いので、喫煙率がえらく低いのだ。

もちろん、それ以外の様々な分野で、高校ごとの違いが出ているのだろう。俺が言いたいのは、高校進学と言うのは別に個人の資質を伸ばすとかどうとか以前に、環境をもらうというところが大きいということだ。進学校、というだけで一つの校風。その環境を得ると言うだけで、進学校に進むメリットはあるのだと思う。もし大学に行きたければ、ね。

環境問題にうるさい奴に限って、車を乗り回して排気ガスをばら撒いてるもんだ


第四回 運 10月19日

夢その3は書きにくいのでパス。いずれやるかもね。

というわけで、どうも「笑えない」という非難の飛び交う中、またもギャグでない普通の雑記帳。「運」がテーマです。

運不運って言うのは、やっぱり人生において大きな要素だと思うんだな。「勝負は時の運」って、時々本当に実感する。運も実力のうち。それどころか、実力があって運に全然恵まれない奴よりも、運があって実力がない奴のほうがいい結果を出せる。これが事実だから、世の中やってられない。

いるんだよねぇ。果てしなく運のいいやつ。なんか、何やっても成功しそうなオーラが漂ってる。自信が運を引き寄せてるのか、運が自信をもたらすのか、そういうやつはいい循環してるね。幸運が幸運を呼ぶ、みたいな。

ただ、何をもって幸運とするかは非常に微妙なところ。もちろん一人一人幸せのパターンが違うし、「今苦労していても将来きっと何かの役に立つ」とかいうのは運の領域外ではないにしろ、考えるのが難しい。

運というのは「勢い」で、運自体には善悪を判断する力はない、という考え方がある。ものすごい運で宝くじ3億円当たっても、その後命を狙われるとかそういうあたりまでは運の領分ではないっていうあたりね。ジャンケンで勝ちつづけるとかさ、2位がよくても1位になっちゃうというような。それとも運がいい奴が2位になるのかな? 

あと、道ですっこけて、でもそのお陰で落ちてる財布を見つけたとか。それは幸運なのか不運なのか。どうにも中途半端ですな。

こういう矛盾とか割り切れない部分を考えてみると、どうも結局のところ全てはただの「現象」に過ぎないのではないか、と思ってしまう。生きていればいろんなことが起こる。で、その中には自分に利益をもたらすものもあるし損害をもたらすものもある。で、そういうものを勝手に個人の都合で「運がいい」「運が悪い」と振り分けてるのに過ぎないのではないだろうか。

そう考えれば、「自分は運が悪い」とか、そういう風に最初から後ろ向きに考えるのがバカらしく思えるかもしれない。マイナス思考にはマイナスの結果が訪れる、というのはやっぱり実感としてあると思うしね。

よし。俺はついてる。そう思うことが、勝利の方程式 by 2年前の俺


第三回 夢(その2) 10月6日

また夢。でも、今回は前回とちょっと毛色の違う話。

夢ってさ、意味が二つあるじゃない。「将来の夢」とかに使う「夢」と寝てるときの「夢」。まぁ、10年後寝てるときに見る夢を「将来の夢」というのも間違いじゃないんだろうけどさ。普通はこの二つの意味がある、と。

で、不思議なのは、この「将来の夢」みたいな、こうこうしたいっていう曖昧な希望みたいな「夢」と、寝てるときに見る生理現象みたいな「夢」が、なんで同じ言葉なのかということ。

これって、英語でもそうじゃない。dreamって、寝てるときの夢もそうだし、望むものとしての夢も表す。全然違うものなのに、文化が全く違うところで同じ使われ方をしているっていうのは驚きですな。

ただ、こういうのって外から入ってきたと考えるのが自然なんだろうね。調べりゃ良いんだけどめんどくさいから推理だけ。多分、「夢」はもともと寝てるときの意味だけなのかな、と。「あさきゆめみし」とかを考えれば、そっちは昔からあったと思う。で、将来の夢とか、私には夢があるみたいな言い方をする用法は、後から欧米から伝わってきたんじゃないかな、という。でも、もし本当に平行進化って言うか、日本でもアメリカでも「夢」って言葉に自然に二つの意味が出てきたんだったら、すごいね。誰か知ってたら教えてくれ。

だから僕の夢は時間を裏切っちゃいけない。by 星野哲郎


第二回 夢(その1) 10月5日

前回は何者かの陰謀によって雑記帳を阻まれてしまったが、ネタが思いついたので第二回。

夢を見た。で、夢の内容が重要なんじゃなくて、その後の現象。なんと、自力で夢から目覚めてしまったのだ。暗いところでテレビを見ている夢。で、どうも暗くてよく見えないと思い、目を見開いたら現実の世界に突然飛ばされてしまった。つまり、現実世界で夢のセリフをしゃべってしまう「寝言」のように、現実世界で目を開いてしまったのである。

そう言えば、夢の中で「これは夢だ」と気付くことがたまにある。そういう時は、お約束通り頬をつねったりする。まぁたまに痛いこともあるのが不思議だが、たいがい夢だと気付いてもあまり自分の自由にはならない。それでも一応ああ、どうもこれは夢の中だぞ、っていうのがある。

恐らく、そういう時は「起きる」という強い意志があれば目覚められるのだろう。でも、「夢」と気付いた夢は結構楽しいので目覚めたくないんだな。これが。

不思議だと思うのは、夢の中で「ものすごく意外なこと」が起こるときだ。夢というのは全て自分の内面のものなんだから、「意外なこと」が起こるはずがないと思うのだが、やっぱり時々夢の中でもびっくりする。夢の中で

「衝撃の事実発覚!」 「うそぉ!まぢ??」

とかがある。こういうのはもしかすると、「夢の中ではとんでもない設定でも何の疑問も抱かない」のと関係しているのかもしれない。大学の友達の中にさりげなく中学校の友達が混じってたり、絶対に自分の家じゃないところに何の疑問もなく住んでたりする、あれだ。

なぜ夢を見るかというのは科学者の間でもはっきりしていないらしい。潜在意識が何たらとかフロイトなんかもいろいろ言ってるが、俺がちょっと興味を引いた話に「記憶を整理するため」というのがある。

要するに、集めた記憶を「夢を見る」という行為の中で整頓するわけだ。そうしないと、覚えたことの関連付けみたいなものがうまくなされないらしい。

で、例えば徹夜で延々と試験勉強なんかをしていると頭がゴチャゴチャしてくるんだけど、そのままテストを受けてもあまり良い結果は得られない。むしろ30分でも寝てしまったほうが記憶がまとまってよいということみたいだ。

という話を聞いて、テスト前にはできるだけ完徹はしないようにしている。別に意志が弱いわけではない。断じて。

時間は夢を裏切らない。by星野哲郎


第一回 雑記帳 10月3日

雑記帳をやってみようと思った。突っ込まれる前に言っておくが、パクリである。

まぁ、別に日記を書きたいのではなくて、ちょっと最近余りにも物忘れが激しい自分がそのときに何を考えていたのかを残しておこうかな、と。毎回なんかのテーマを決めて、適当に思いつくまま書いていこうかなというつもりなのだが、すでに第一回にしてネタが無い。どういうことだろう。きっと何者かの陰謀に違いない。

何者かの陰謀のせいで書くことがなくなってしまったので、今日はこれまで。次回までにネタを考えておこう。

千里の道も一歩から。無駄なことはするなということわざです