第5章 ヴァチカン(5日目)


1.Flea Market(のみの市)


昨日は早く寝たので、早く起きた。やはり俺はヨーロッパに来ると早寝早起きの模範生な人になれる。うむ。
時差はすばらしい。

朝飯も食わずに(というか、朝飯が食える時間よりもさらに早い)、タクシーでトラステヴェレの蚤の市へ。これは、Isomuraのたっての希望である。俺も父親のお土産を探すことにした。まだ朝早いので、蚤の市はあまり活気を見せていない。混み始めると手のつけようがなくなるので、人の少ない内にうろつこうと言う作戦である。

ちなみにこの街で、1000リラ=1ミラ ということが判明。やはりイタリア人もデノミの必要性を痛切に感じているのだろう。と言っても、1ミラ50円なのだが。

ちなみに、イタリア人は基本的に英語が通じない。ギリシャ人は比較的英語が通じたのだが、イタリア人は、特に普通の人は本当に英語が分からないようなのだ。日本ではミニストップで売られている、例の「パニーニ」を買おうと思ったのだが、何しろパニーニを買っても、その後の店のおばさんの、調理に関する質問がさっぱり分からない。恐らく、「中に何を入れる?」「サイズはどうする?」「焼くか?」だったと思われるが、ジェスチャーで克服。パニーニってのは、多分フランスパンで挟んだサンドイッチのことだと思われる。

さて、その辺をうろつく。Isomuraは相変わらずレコード屋で引っかかっているので、放っておく。途中、偶然英語の通じるかばん屋の親父に捕まってしまった。買う気が無かったのだが、断っているとどんどん値段が下がっていく。だが、本当に買う気が無いので、最後に「You are bad」とか言われてしまったが、よく考えてみると知らず知らずのうちに値切りの極意を実践していたのかもしれない。

それにしても、この蚤の市は本当に広い。基本的に一本の道の脇に店が並んでいるのだが(先に進むとさらに広がりを見せる)全長10kmくらいあるらしい。とりあえず、俺にゴールは見つけられなかった。

さて、俺は途中で飽きたのだが、Isomuraはまだ見たいらしい。しかし、そもそもIsomuraは昨日両替をし損なったので、ドルしか持ってないのだ。いずれにしても蚤の市から離れなければならない。というわけで、両替屋を探すのだが、日曜日と言うのもあって、ちっとも見つからない。仕方なく、タクシーを使って一度ローマの中心テルミニ駅へ向かった。

テルミニは、イギリスのウォータールー(ユーロスターが止まる)に似た駅で、両替機能もある。取りあえずここで両替をし、蚤の市を見たいIsomuraと、ヴァチカンへ行きたい俺とで一度別れることにした。このとき10:00頃、サン・ピエトロ寺院の入口で13:00に待ち合わせと言う事にした。

さて、取りあえず俺はマックに行き、トイレを探すが見つからない。かなり不愉快だが、駅の有料トイレを使う事になる。このシステムを何とかしてくれ。民衆の不満は高まるばかりだ。

その後、本屋に行ってイタリアでアドルフを継ぐなどの漫画が翻訳されている事などを学んだ後、地下鉄へ。すると、地下鉄混んでいる。凄いい勢いで混んでいる。まさか、皆ヴァチカンへ?



2.聖地ヴァチカン 〜サン・ピエトロ寺院〜

一度ローマに行くと分かるのだが、世界一小さな独立国家ヴァチカンは、ローマ市の中に「普通に」ある。ヴァチカン市国というのは、要するに「教皇さまのお膝元」の国なのだが、ローマを走る地下鉄のオッタヴィアノとかいう名前の駅(多分オクタヴィアヌスから来ている)から、歩いて行けるのだ。本当に普通に行ける。何しろ、どこが国境だったのか良く分からないくらいだ。

さて、今日は日曜の昼なので、教皇が出てくるのである。カトリックの大ボスだ。寺院の前のでかい広場は、人間で埋まっていた。そして、正午。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の登場である。命を狙われかねない立場なので、予想外に遠い位置での登場だった。余りに遠くて個人が識別できない。あれがポール牧だったと言われても、あのときの俺なら納得してしまっただろう。

教皇は何語か良く分からない言葉(多分イタリア語だろうが)でしばらく喋った後、なにやら歌って、最後にアーメンと言っていなくなった。信者が感動していた。泣いている人もいた。信仰ってのはすごいねぇ。

その後、サン・ピエトロ寺院へ。もちろん、この人ごみの流れから行って、寺院は相当混んでいるが、仕方ない。取りあえず俺はトイレへ。すると……なんと、タダ。当たり前なのだが、素直に嬉しい。そう。ここはイタリアでは無いのだ。なんて良い国なんだろう。ヴァチカン。

さて、気を取り直してサン・ピエトロ寺院に入る。
何しろカトリックの総本山だ。さすがにこれはノートルダム寺院よりでかい。寺院がこんなにでかくていいのかと言うほどでかい。そして、やたらと派手。天井や壁の至る所に、惜しげもなく絵画や彫刻が飾られている。しかも、地下室がある。中に入ると、そこは歴代教皇の墓。世界史で見たような名前の教皇がずらりと……おお!! なんと、ボニファティウス8世じゃないか!? 「憤死」で有名なあのボニファティウスである。こんなところにいたのか。すげぇ。思わず写真を撮ってしまった。

さて、13:00を過ぎた。寺院を出ようとすると、丁度寺院に入ろうとしていたIsomuraを発見。これから中を見るようなので、俺は外で休憩。もう一度トイレに行く。ここの洗面所にはちょっとした罠があり、なんと水を出すためには蛇口を回すのではなく、「足踏み」式なのだ。これには驚いた。隣のラテン系のおっさんが水が出なくて苦戦してたので、教えてあげた。すると、その隣のおっさんも解決したようだった。イタリアの常識、というわけでもなさそうだ。何故こんなに分かりにくいんだろう。

さて、Isomuraと合流し、これからサン・ピエトロ寺院を登ることにした。入口を見ると、エレベーター8000リラ、階段7000リラ。相変わらずイタリアの値段表には驚かされるが、これは文句無しにエレベーターである。何しろ50円しか変わらない。丁度後ろにいた人は「階段にしよう」と言っていた。

エレベーターで結構上まで上がり、サン・ピエトロ寺院の内部を上から見下ろす形になる。これは、本当に圧巻。感動する。

だが、本当の戦いはこれからだった。これから階段を上るのである。これが、半端じゃない高さ。マジで、辛い。パリの凱旋門も辛かったが、さらにそれを凌駕する辛さである。結構途中で力尽きている人が多い。かなり苦労した後、ようやく到着。一体、「階段」を選んだ人はどうなったのだろうか?

だが、滅茶苦茶高いサンピエトロの屋上からの眺めは最高。ローマを一望でき、まさに「素薔薇しい」の一言である。

さて、帰りは似たような道を逆に戻る。行きとほぼ同じ。
Isomuraは「俺がRPGを作るときは、左右対称のダンジョンはやめよう。プレーヤーのやる気をそぐ」と言っていた。まぁ、そういう感じだ。名言かもしれない。



3.サンタンジェロ城 〜ミカエル、再び〜

その後、昼飯を食う。場所はいくつか回って、一軒のトラットリア(安めのレストラン)に入る。食ったのは、

ローマ風チキン:チキンだったか?ビーフのようなポークのような……
スパゲティトマトソース:麺が太め。まぁまぁ。
ジェラート:何味? 砂糖水のような気も……


というわけで、今一だった。

その後、ヴァチカンのもう一つの見どころ。ティベレ川のほとり、サンタンジェロ城へ行く。英語で言うと"Saint Angel"であり、聖なる天使の城。ここはもともと教皇が住んでいたらしい。頂上に大天使ミカエルの像がそびえる、いかにもラスボスの住んでそうな城だ。

丁度、何かのキャンペーンだかで、入場料がタダになっていた。やはりヴァチカンは素晴らしい国だ

城の中は分岐が多くて、ドラクエの城を思い出させる。逆に言うと、つながりが分かりにくいということなのだが。
この城も、屋上までは結構登らねばならないのだが、サン・ピエトロ寺院ほどではなかった。高さはあるものの、途中に博物館などがあって、見どころがあるためにそうきつくは無いのだ。様々なミカエルの像や絵画が飾ってある部屋があり、中々いい感じだ。

頂上には、青銅のミカエル像の元、やはり市内が見渡せる屋上がある。ここからの眺めは、サン・ピエトロ寺院も含むのでなかなかのものだ。

その後、再びIsomuraと別れる。蚤の市で買ったレコードをホテルに置きに行くと言う。俺はそんな気力はない上に、ちょっと寄りたい場所があったので行ってみることにした。



4.骸骨寺院

さて、俺はバルベリーニという、昨日晩飯を食った駅で降りる。
ここには、骸骨寺院がある。正式な名称はサンタマリアなんとかというのだが、忘れた。一見普通の家だが、中は……

数百人の骸骨を用いたレリーフで飾られた部屋が約5部屋。
ぱっと見、ちょっと古ぼけたアンティークの部屋だが、全ては人間の骸骨でできている。入るだけで呪われそうな、凄い寺院だ。

ある意味で悪趣味、ある意味で禍禍しく、ある意味で芸術的な部屋。

なお、ここは「入場料」ではなく「お布施」なので、金額は決まっていない。入るなり「コンニチワ」と言われ、返事をすると「5」と言われる。5000リラと言う事なのだろうが、10000リラしか持っていない。お布施にお釣りをもらうのもどうかと思って悩んでいると、隣の外人が「1000」と言われていたので、俺も1000出した。番人の人は渋々と「OK」と言っていた。

なお、この寺院は当たり前だが写真は禁止である。それは使者の冒涜に当たるのだろう。だが、出口で写真が売っているのはどうなのだろうか。やれやれだ。



5.ローマVSインテル

その後、テルミニに戻ってIsomuraと合流。なのだが、大渋滞。そう。我々はこれからサッカーの試合を見に行くのだ。電車が渋滞しているのだ。大変。合流した後、フロミナ駅へ。テルミニからもバスが出ているらしいのだが、ここから路面電車のほうがいいらしい。

で、スタジオオリンピコ という場所でサッカー観戦。途中、応援用にマフラーを買い、晩飯にパニーニを買う。パニーニは多分メンチカツだったと思う。イタリアにメンチカツがあるとは思わなかった。

ちなみに、この辺りで俺の体力は限界値である。朝から持ちつづけていた重い荷物が問題だったらしく、なにやら背骨に来ている。せきをすると背骨に激痛が走る。これはまずい。とりあえず、席まではかろうじて辿り着いた。

試合は、ローマVSインテル。俺はよく分からないが、好カードらしい。
ローマ人の応援は、早慶戦の数倍は凄まじく、かなり圧倒された。発煙筒とか飛び交っている。
俺らの席は比較的落ち着いた玄人のファンが座るところらしいので、周辺はそうでもなかったが、目の前の席はかなり熱かった。
試合は、2−2から、最後の3分くらいで決め手の1点が入ってローマの勝ち。スタジアムは大興奮だった。

それにしても、ここではインテルは完全に悪役である。これ以上ありえないくらい地元びいき。ほんの少しのスペースにインテルのサポーターが座り、スタジアムの放送も完全にローマの話だけ
なお、中田はウォームアップをしている姿だけ見ることができた。ていうか、前でずっとウォームアップしていた。

スタジアムに7万人入るだけあって、入るときも大変だったが、出るときも大変だ。死ぬほど大渋滞。油断するとひき殺される。多分、俺が今までに見た最も多い人間の数だろう。

車道を我が物顔で歩くローマ人。だが、うまくトラムに乗れたので、帰りは比較的スムーズだった。だが、中でのローマ人の興奮具合は凄まじく、大声で合掌しながらトラムの壁をガンガン叩く。ちょっと怖い。

こうして旅行中最も疲れた一日は幕を閉じた。

世界征服の暁には、全世界的にトイレは無料にしようと固く心に誓う。



第六章 コロッセオへ