The Episode of Cocktails

カクテルには誕生にまつわる面白いエピソードがたくさんあります。

マティーニ   …カクテルの王様

サイドカー   …戦争がらみのカクテル

アレキサンダー   …名前は男だけど、実は…

ニコラシカ   …飲み方に困惑?

バカルディー   …酒をめぐる裁判

マルガリータ   …愛する君のために…

マンハッタン   …「酔っ払い」にご用心

モスコー・ミュール   …売出し大作戦


マティーニ

 カクテルの代名詞といってもいいくらい、世界中に親しまれているカクテルがこれ。「カクテルはマティーニに始まりマティーニで終わる」なーんていわれてるくらい。材料はジンとベルモット(白ワインに香草や糖分などを加えて風味付けしたもの)だけなのですが、アメリカのカクテルのマティーニの本には268種類ものレシピが紹介されているのだとか。というのも、多くの著名人がこのカクテルを自分好みの割合で愛飲していたから。

 文豪ヘミングウェイが好んだのが15対1の割合の超辛口。イギリスの首相チャーチルはベルモットのボトルを眺めながらドライ・ジンだけを飲んだそうな。……それもマティーニなのか?とちょっと思ってしまうのですが。

 その起源については多くのエピソードがあります。イタリアのマルティニ・ロッシ社が自社製品のベルモットを売り出すために開発したというありがちな話から、ニューヨークのホテルのバーテンダーがアメリカの石油王ロックフェラー氏のために作ったという説などなど。この真相はいまだにさだかではありません。

 でも、その名の通り、マティーニ社のベルモットを使うのがどうやら正式なようです。かつて、ベルモットはマティーニでないとダメだ」という訴訟が起こされたくらいなのですから…… 

 


サイドカー

 サイドカーはご存知のとおり、バイクの横に取りつける乗り物。第1次世界大戦中から軍用として活躍し、特によくナチスの軍人達が乗っていたらしいです。そんな乗り物の名がどうしてカクテルについたかというと、これにはいろいろな説があります。

 第2次世界大戦中のパリで、いつもサイドカーに乗っていた大尉が作った、とか、作ったのはフランス将校だ、とか。また、第1次世界大戦中、ドイツ軍に追われたフランス将校が逃げる際、景気付けのためにありあわせの酒とレモンを混ぜて作ったのが始まりとか…逃げる途中にそんな余裕があったのかはちょっと謎なのですが。

 有力なのが、1933年、パリのハリーズ・ニューヨーク・バーのバーテンダー、ハリー・マッケンホールが作ったという説。パリで人気を博し、世界中に広まったそうな。

 しかしこのカクテル、逸話が多い分、バリエーションも多く、ベースのブランデーの風味を生かすため、コアントロー(ホワイトキュラソーの銘柄)やレモンの量を控えて作る場合も。実際、つい先日飲んだ「サイドカー」は色もブランデーに近く、結構きつめのカクテルでした……

 


アレキサンダー

 アレキサンダーというと、古代マケドニアのアレキサンダーを思い浮かべる人がいるかもしれませんが、かの大王とはなんの関係もありません。実際にカクテルを飲んでみると、味も香りも甘く女性向で、名前と合わないと感じることでしょう。

 このカクテル、実は出来た頃は「アレキサンドラ」と女性名で呼ばれていました。それもそのはず、このカクテルは英国国王エドワード7世と王妃アレキサンドラの婚礼に献上されたもの、もしくは国王が王妃に捧げたものだという説があるのです。それが後にいつのまにか「アレキサンダー」と呼ばれるようになったそう。

 ジャック・レモン主演の映画「酒とバラの日々」では、主人公が酒の飲めない妻にこのカクテルを勧めます。病み付きになった彼女はすっかりアル中に……。

 …そうこのカクテル、甘くて飲みやすいのですが結構アルコール度数は高めなのですね。エピソードでは、奥さんにささげるカクテル、という感じですが、飲み過ぎにはご注意。


ニコラシカ

 リキュール・グラスの中にはブランデー。グラスの上にはスライスしたレモンと、さらにその上にてんこもりの砂糖。さあ、このカクテル、一体どうやって飲む?

 「これがカクテルか!?」と思ってしまうような飲み物ですね。カクテルが、ただ単にミックス・ドリンクではないという、いい見本かも。

 基本としてはまずレモンで砂糖を包むようにして口の中に入れて噛み、甘酸っぱさが口の中に広がったところでブランデーを流し込むという飲み方。つまり口の中で自分でカクテルを作るというわけですね。

  ブランデーだけではそうそうたくさんは飲めませんが、こうすることで口当たりが良くなり、飲みやすくなるのだそうな。 

 しかし知らない人が見たら、飲み方に困ってしまうカクテルNo.1といえるでしょう。実際、グラスをたっぷり2分間見つめたあと、おもむろにグラスを口に半分突っ込んで流し込もうとし、大変なめにあった人もいるとかいないとか。

 発祥はドイツのハンブルグ。こんな飲み方、よく思いついたなあ、と思ってしまいます。やはりカクテルは奥が深いのです。

 


バカルディー

 「バカルディー」とは、中南米に蒸留所を持つ名門のラムメーカー。1933年にアメリカの禁酒法廃止をきっかけに、自社製品のラムを売り出そうとしてこのカクテルを作り出し、バカルディー・ラムの使用を明示しました。しかしのちにバカルディー以外のラムを使ってこのカクテルを作って出したバーに対して客が訴訟を起こしたのです。

 ニューヨーク高裁の判決は「バカルディー・カクテルはバカルディー・ラムで作らなければならない」と裁決し、この勝訴とライト・ラムの流行で、このカクテルは瞬く間に世界中の人気を集めることになりました。以来、バカルディーを名乗るカクテルには必ずバカルディー社のラムを使うことになっています。

 ちなみに、他のラムを使った場合は「ピンク・ダイキリ」と呼ばれることになります。

 しかし裁判にまでなるとは……よほどこのカクテルが好きだったのでしょうか?

 


マルガリータ

 女性の名のついたカクテル。なんか意味深ですね。

 1949年の全米カクテルコンテストの優勝作品がこれ。考案者はロサンゼルスのバーテンダー。「マルガリータ」とは狩猟中に流れ弾に当たって亡くなった彼の若き日の恋人の名だそうです。

 メキシコ生まれの彼女をしのび、彼はテキーラベースのカクテルを作って彼女の名をつけたといいます。メキシコでは、まず塩をなめ、レモンをかじってからテキーラを飲むのが一般的。このカクテルの塩のスノースタイルもここから来ているのでしょう。

 もうひとつの説は、ホテルのマネージャーが恋人のために作ったというもの。マルガリータというその彼女は、どんな飲み物にも塩を付けて飲むのが好きだったんだとか。しかし指で塩をつけながら飲み物を飲むのはちょっと…ということで、彼女のためにグラスに塩をまぶす工夫をしたというわけ。

 いずれにしても、男性が恋人のために作ったということに間違いは無いようです。ちょっぴり塩辛い、恋のカクテル。

 


マンハッタン

 「カクテルの女王」といわれるカクテル。あのイギリスの首相チャーチルのお母さんがニューヨークのクラブ・マンハッタンで夜会を盛り上げるために作ったのが最初という説があります。メリーランド州のバーテンダーが傷ついたガンマンの気付のために作ったという説もありますが、チャーチルの母説が一般的。

 チャーチルもカクテル好きで知られていますが、その母君がカクテルを考案したとなると、やはり酒好きな家系だったのでしょうか。

 さてこの「マンハッタン」という単語、…というか地名なのですが、元はアメリカインディアンの古語で「酔っ払い」という意味だそうです。

 昔、インディアンの酋長がオランダ人に散々酒を飲まされて酔っ払い、所有していた島をたったの24ドルで売ってしまいました。あとで素面に戻ったときにはもうあとの祭り。「おれはあの時マンハッタン(酔っ払い)だった!」といって悔しがったとか。それで24ドルの島につけられた名がマンハッタン。

 今ではすっかり観光名所でも、その地名の由来は結構お間抜けなんですねえ。

 まあ、酒もほどほどにっていう教訓でしょうかね。このカクテルもカクテルにしては結構アルコール度数は高いほうです。くれぐれもマンハッタンでマンハッタンにならないように……

 


モスコー・ミュール

 酒メーカーが、自社の製品を売り出すために新たなカクテルを作り出すというのはよくある話。その中でも、このカクテルのデビュー時のエピソードはちょっと変わっています。

 第2次大戦後、アメリカではウィスキーとジンばかりが飲まれていたのですが、そこへなんとかウォッカを広めようとしていたのがウォッカのメーカー・ヒューブラインの社長・マーティン。彼はちょうど同じ頃イギリスのジンジャー・ビアーを普及させようとしていた旧友のモーガンとともにこのカクテルを作り出します。

 次にマーティンは、ポラロイドカメラを持って高級カクテルラウンジを回り、それぞれでバーテンがモスコー・ミュールを持っている写真を2枚ずつ撮ります。1枚をバーテンにプレゼントし、もう1枚を持って次の店に行き、「ほら、こんなに流行ってるんですよ!」 さもそのカクテルが流行っているかのように思わせたのです。この作戦は見事に成功し、ウォッカはこのカクテルとともにアメリカ中に広まりました。

 ちなみに、このカクテルの名前は「モスクワのラバ」と訳されることが多いですが、「ミュール」には「頑固者」「強情っぱり」という意味もあるとか。

 


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