世界征服の暁には
何年も生きていると、
世の中に不満もたくさん出てくる。
バス代が高いとかいう身近な不満から、
学歴社会は間違っている、といったような本質的な疑問まで、
考えれば考えるほど不条理なことだらけだ。
とかくこの世は生きにくい、のだ。
でも、世界征服が達成できれば色んなことが自分の都合よく
変更できるに違いない。
というわけで、世界征服をした暁にはこんな世の中にしよう
という公約です。
世界の公用語を日本語と定める 世界中で違う言葉をしゃべるから、学校に外国語の授業などが現れるのだ。 大体、何で英語をしゃべらねばならないのか。 外人に媚びへつらって英語礼賛なもんだから、アメリカ人は図に乗って、日本に旅行に来たくせに普通に日本人に "Hello, Excuse me, but Where is ...." とか話し掛けてくるのだ。 ハローだかエクスキューズミーだか知らないが、挨拶したり申し訳なさそうにするぐらいなら日本語で話し掛けるべきなのだ。 大体、海外に行って「すみません、・・・に行きたいんですが」などと外人に話し掛ける日本人がいるか? ありえないだろう。日本人にとってはありえないことを、英語圏の外人は調子に乗って「俺が俺の言葉は世界の言葉」とでも言わんばかりに他国で英語をまくしたてる。 英語は10億人がしゃべってるかもしれないが、中国語なんて12億人がしゃべっている。 でも、人数の問題ではないのだ。 問題は、俺がしゃべれるかどうかだ。 もちろん俺は今のところ外資系の会社に勤めており、きっと英語が得意に違いないと思われているが、それとてさもありなんといった程度の可能性に過ぎず、推測の域を出ないことは想像に難くない。 早い話が日本語で全て事足りれば何の問題もいらないのだ。外人が日本語を話せばいい。 というわけで、世界征服の暁には全世界の共通語を日本語で統一すると固く心に誓う。 |
毎日公的に「何かの日」にする。 常日頃から、不思議に思っていた。 特別な日と、特別でない日がある。 例を挙げると、3月3日はひな祭りであるが、3月4日は普通の日である。 3月3日に生まれた人は「誕生日がひな祭り」なのですぐに覚えてもらえるが、誕生日が12月19日の某友人Iなどは、メールアドレスに生年月日を組み込むぐらいのほほえましい努力をもってしなければ、一般人に誕生日をアピールすることができない。 しかし、3月3日とて、特別と言えば特別だが、さりとて休日にはならない。 そういうと、3月3日は「耳の日」だと言うではないか。 特別な日とは言え、休みにならなければもはや何の日であろうと、国民に大した影響は与えない。なので、国民はどうでもいいと思っている。 休んでもいいくらい特別な日というと、これはもう一月に一回あるかないかである。 例えば、10月は体育の日がある。 俺が物心ついたときから、体育の日は10月10日だったのだが、いつの間にやらハッピーマンデーとやらでずれてしまった。まぁそれはいいのだが、10月10日というのは東京オリンピックと関係があった気がして仕方がないのだが、まぁそれもどうでもいい。 個人的には10月10日は「目の日」であったり「銭湯の日」であったりするのが面白いと思うのだが、まぁ休んでもいいくらい特別な日も、ずれたりはする。ずれるぐらいだから、重要度はそれほど高くないのだろう。 さて、「盆と正月」というくらいで、年末年始と夏休みは、大抵の会社は休みになる。ただ、夏休みに関しては微妙だ。年末年始ほど、日程がはっきりしていないからだ。 つまり、これで一年365日のなかに序列ができるわけだ。 超特別な休日 1月1日 休日 海の日、建国記念日など 扱いの低い休日 体育の日、成人式 特別な日 ひな祭り、節分、クリスマスなど 普通の日 その他 ここで、思ったことがある。 2月29日の扱いだ。 2月29日が特別であることは、多くの人々が認めるところだと思う。 何しろ、4年に一度しか来ない。 単純計算で、元日の4倍の希少価値がある。 この日が誕生日の人は、1歳で小学校に入り、3歳で中学校に入り、4歳で高校を卒業する。 こんな凄い日は他にはありえない。 これはもう、休みにしてもいいんじゃないだろうか。 2月には2月11日の休日があるが、幸い何の日だったか覚えていない。 おっと、趣旨がそれてしまった。 超超特別な休日 2月29日 超特別な休日 1月1日 休日 海の日、建国記念日など 扱いの低い休日 体育の日、成人の日 特別な日 ひな祭り、節分、クリスマスなど 普通の日 その他 現在の認識はこんなところでいいと思う。 さて、ここからが本題だ。 不平等は撤廃しなければならない。 そこで、毎日「何かの日」というのを、公的に定める。 どこぞの協会が勝手に定めた「すしの日」だの、「バスの日」だのは駄目だ。 誰も知らない。 しかし、366日ある以上、「すしの日」「バスの日」を国会で決める分にはやぶさかではない。 休みの日が少ないとかそういう問題は後にして、とりあえず毎日何かの日にしよう。 バスの日は、バス会社が運賃をタダにするのだ。 すしの日は、すし屋が伝票を書かないのだ。 動物の日は、動物園がタダになるし、映画の日は、映画館が無料になるのだ。 そうすると、まぁ誕生日も覚えてくれやすくなる。 もちろん、7月10日が納豆の日になり、その日に生まれた子供が伝統的に「納豆」と呼ばれてしまうことに関する責任を、俺は負わない。人はそうやって強くなっていくのだ。 ちなみに俺の誕生日は7月12日だ。 プレゼントは前後6ヶ月間受け付けているので、忘れても気に病む必要はない。 今すぐにでも行動を起こして欲しい。 |